日長(ひなが)城

写真奥の山中に城があったと言われている。

 

2016年9月11日撮影


◆別名:

 

◆所在:

知多市日長字中森谷

 

◆交通:

 

◆歴史:

城主には匹田氏と駒沢氏の名前を見る事ができるが、築城年などは不明である。

匹田(疋田)氏は若狭地方を本拠とする氏族であり、駒沢氏は諏訪地方によく見受けられる姓氏である。

 

匹田、駒沢両氏がこの地に来た経緯は不明であるが、鎌倉幕府の四職家の一つである一色家は、範光の代に南北朝の争いの中で戦功を挙げて若狭と三河の守護に任ぜられ、その息子の詮範は知多、海東の二郡の守護も命じられており、この時期に範光、詮範父子に従って若狭からこの地へ移り住み、城を築いたと考える事ができる。

 

なお、一色範光は大野城の初代城主であり、息子の詮範の墓所は日長城の東方約3キロに位置する慈雲寺にある。

 

◆現状:

秋葉神社の裏山が城跡と言われているが、山林となっており遺構は存在しない。

城跡の南側には字城見坂、日長川を渡った東側には字堀田という地名が現存しており、城があった事を思わせる。