寺本(てらもと)城

本郭跡

2015年7月26日撮影


◆別名:

堀之内城  ・ 青鱗城

 

◆所在:

知多市八幡堀之内

 

◆交通:

国道155号線と県道24号線が交わる堀切の信号交差点を南東に入り、1キロ程進むと長曽根橋西の信号交差点に出る。北に500m程進むと、東側にスーパーとホームセンターがあるので、道を挟んで西側の丘の上が城跡となる。

城跡に入る路地は細く、車を停めるスペースがないので、今回はスーパーで飲料を買ったついでに駐車場に停めさせていただき城跡まで登った。

 

◆歴史:

花井播磨の城と言われている。

花井氏は守護職の土岐氏に仕えた氏族で、守護代として吉川城に入り、その後木田城へ移ったが、花井惣五郎の代には寺本城を本拠としていた。城跡にある津島神社は嘉吉3年(1443年)の花井信忠が建立したとあるので、室町中期にはこの地域が花井氏の勢力下にあり、以降100年以上は支配が続いていた物と推測される。

 

戦国時代は織田氏に従っていたが、織田信秀が死去すると、三河を手中に収めた今川氏の手が知多半島にも伸び、寺本城の花井氏も今川方へ寝返った。鳴海城から大高城、寺本城のラインを今川方に抑えられ、緒川城への連絡を絶たれた織田信長は、今川方が緒川城攻略のための足場として築いた村木砦を落とすべく、木田城へ兵を集結させ、寺本城の支城である藪城と寺本城の前を堂々と通過し、佐布里城の近辺から、一気に村木砦へと進軍してこれを落とす事に成功した。

 

村木砦を落とした織田軍は、帰路に今川方に寝返った寺本城と藪城を攻撃し、花井氏は降伏して再度信長の配下となった。

 

◆現在:

小高い山の上に南北50m、東西5m程度の細長い削平地があり、削平地の南端に津島神社がある。

北端にはくぼみがあり、水を貯めておく池(井戸?)を埋めた跡だと思われる。

現在は丘の南側からしか登る事ができず、登り口は堀之内と言う地名になっている。


城の南にある『堀之内』の碑。

部落名にも堀之内の名前が残されている。