成瀬(なるせ)屋敷

門田公園は屋敷があった区画の中でも一番小高い位置に作られている

 

2016年9月11日撮影


◆別名:

 

◆所在:

知多市新知西屋敷

 

◆交通:

 

◆歴史:

尾張藩主付家老で、犬山城主である成瀬正成の弟正則は元和元年(1615年)に徳川家康より尾張藩主徳川義直に仕えるように命じられ、寛永16年(1639年)に古見村など2,000石を給地される。

その後、一度は上知となるものの、宝暦4年(1754年)に成瀬正利が古見一帯を再給地され、この地に城館を築いた。

 

その後、尾張十二代藩主の徳川斉荘が知多へ巡検する際に屋敷の普請を行ったと伝わるが、明治2年(1869年)に名古屋へ移住したため屋敷は破却されたと言われている。

 

◆現在:

西屋敷、東屋敷といった地名の他、国道155号線には東屋敷と言う信号交差点が存在する。

屋敷の南側にあたる地に作られた門田公園の由来を見ると、南北の交流を阻害するほどの小高い山があったとされ、昭和57年から宅地開発が行われた結果、山は削られて住宅地となった。

この時に、屋敷の遺構なども破却されたと思われる。


門田公園に立つ由来の碑