2016年7月2日撮影
◆別名:
◆所在:
知多市大草東屋敷
◆交通:
◆歴史:
織田信長の配下である大野城主の佐治信方が長島一向一揆で戦死すると、信長は後継ぎの佐治一成が幼少であるため、弟の長益(後の有楽斉)に与えた。
大野城は小高い山の山頂に作られた昔ながらの山城であり、交通や水利の便が悪いため、長益は近隣の大草の地に新たに城を築き始めたが、本能寺の変で信長が討たれ、後の小牧長久手で豊臣秀吉に付いた長益は摂津に所領を与えられたため、築城途中で大草城は廃城となった。
◆現在:
大草城は縄張りを終えた後に廃城となったが、徳川幕府下では尾張藩の重臣山澄英龍が城の南西に居館を構え、有事の際に使えるように整備していたと思われ、現在でも主要部分と周囲の堀はほぼ完全な形で残されている。
本丸跡に建つ模擬天守
二の丸北東部にある堀は当時のまま残されており、周囲は遊歩道で囲まれ散策できるようになっている。
本丸と二の丸の間に作られた土塁