須佐(すさ)城

城の麓に建つ正衆寺

 

2017年9月4日撮影


◆別名:

 

◆所在:

南知多町豊浜会下坪

 

◆交通:

 

◆歴史:

源平合戦の時代に、篠島城主の室賀秋季が、源氏方として須佐城主の須佐為基と共に頼朝へと情報を流していた。後に 頼朝が平氏を倒して鎌倉幕府を開くと、この功績により須佐の地を正式に領有した事が始まりとされる。

 

時代が下り、永正年間に志摩から千賀為親が海を渡り移ってきて、須佐城を手中に収めた。

その後、千賀重親が大野城佐治氏の陣代として幡豆崎城へと移った際に須佐城は廃城となったとされる。

 

千賀氏は徳川家に仕え、後に尾張藩の御船奉行として隆盛を極め、徳川吉宗の代に新吉原を作る際、娼館のほとんどを須賀の地に住む商人達が経営いているが、これは千賀志摩守の後ろ盾があったからだとも言われている。

 

◆現在:

正衆寺の裏山あたりが城跡と言われているが、明確な位置は不明である。

なお、正衆寺は千賀氏の菩提寺である。


『尾張智田郡幡頭崎城主』と記された部分を拡大して撮影