宮津(みやづ)城

秋葉神社の看板に宮津城に関する記載が残されている。

 

2015年1月19日撮影


◆別名:

英比柳審城

 

◆所在:

阿久比町宮津堂道

 

◆交通:

名鉄河和線の東側に線路と並行して走る県道464号線にある蟹田橋の交差点を東(水路沿い)に曲がる。200m程で水路が左右に分かれるが、右の水路に沿って進み、最初の橋がある路地に入る。

路地に入って250m程進むと、左側に山へ登る道があるので、そこを登った先が宮津公園になっている。

 

◆歴史:

地元の豪族である新海氏の居城として伝承が伝わるのみで、城の位置も定かではないが、知多郡武豊町にあった長尾城を調べてみると、その中に『織田氏に属していた緒川城の水野信元が知多制圧をめざして南下を開始。坂部城の久松俊勝には妹を嫁がせ縁戚とし、宮津城の新海淳尚、成岩城の榎本了円を次々と撃破。そのままの勢いで長尾城も包囲される事になった』と有り、また『岩滑城は宮津城の出城で、榊原主殿が守っていたが、水野信元によって宮津城が攻略されたと同時期に落城、知多半島北部を支配していた中山勝時(信元の妹婿)を岩滑城に入れて支配させた』と言った記述も存在する。

 

宮津城は水野信元が攻略後、亀崎城を築城した際に廃城となったと伝わる。

 

◆現在:

秋葉神社の看板に宮津城の記載がある。

神社とその脇の公園は高台になっていて、北と西に開けており、坂部城まで見渡すことができる。


秋葉公園から坂部城方面を撮影。

正面奥の林の部分が坂部城となる。