長尾(ながお)城

2015年3月23日撮影


◆所在:

知多郡武豊町上ケ

 

◆交通:

国道247号線を半田方面から南下し、武豊町に入る。石川橋を過ぎて1キロ程走り、JR武豊線を渡る踏切を渡った後、さらに300m程進むと、線路側(西側)に入る一方通行の路地があるのでそこを入り、再度線路を渡った先に武雄神社がある。

 

◆歴史:

 武雄神社の神主でもあった岩田氏が築いた城。

戦国時代、碧海から知多の土地を織田、松平、今川の3つの勢力が争っており、豪族はどこかの勢力に属していく必要があった。

 

長尾城の岩田氏は今川氏に所属したが、織田氏に属していた緒川城の水野氏が知多制圧をめざして南下を開始し、坂部城の久松氏や常滑城の水野氏とは縁戚関係を結び、宮津城の新海氏、成岩城の榎本氏を次々と撃破。そのままの勢いで長尾城も包囲される事になった。

 

頼みであった今川氏の援軍は来ず、ほとんど抵抗もせずに降伏したが、後に再度今川氏に所属。桶狭間の戦いで今川氏が没落すると長尾城も織田氏に没収され、岩田氏は追放されたと言う。

 

◆現在:

城があったとされる地は、武雄神社の南でJR線の西側だが、遺構などは残っていない。

武豊町は長尾村と大足村が昭和の合併でできた町で、長尾村の鎮守である武雄神社と大足村の鎮守である豊足神社からそれぞれ一字を取り、合成して武豊町となったと言う事である。


武雄神社本殿の隣には長尾地区各所にあった長尾七宮が合祀されている。

 

武豊町観光協会のHPを見ると

『この七宮の旧所在地は長尾城の出城の役割を果たしていた』と記載されている。

 

ただし、山ノ神社祠峰社若宮社天神社白山社金刀比羅社(観光協会では八幡社)までは同一だが、秋葉社に関しては、観光協会では神宮社となっている。

 

武雄神社の神主に話を聞くと、秋葉社は長尾の各地区にあった秋葉社を一まとめにした物だと伝わっており、砦としての秋葉社がどの社を指すのかまでは不明との事である。