祠峰(ほこらみね)砦

2016年12月29日撮影


◆別名:

 

◆所在:

武豊町祠峯

 

◆交通:

 

◆歴史:

長尾城の出城の一つである。

長尾地区には長尾七宮と呼ばれる社が存在し、それぞれが長尾城の出城としての役割を持っていたと言われている。その中でも祠峯社は最北端に位置し、北側には武豊と成岩を分ける川が流れており、当時は物見櫓などを築けば、成岩城から出てくる軍勢を見張るには最適の位置に存在していたと思われる。

 

天文12年(1543年)緒川城の水野信元は、織田信秀と盟約を結び後顧の憂いをなくすと、知多半島制圧を目指し、坂部城主の久松俊勝に於大の方(徳川家康の生母で、松平広忠から離縁されていた)を嫁がせて婚姻関係を結び、宮津城成岩城などを攻略し、長尾城へと軍を進めた。

 

長尾城主岩田安広は今川義元へ援軍を求めるが、水野勢の勢いに抵抗できず、開城降伏をしている。祠峰砦はこの攻城戦の際において、真っ先に落とされたと思われる。

 

◆現在:

小高い丘陵地に社があり、虫供養の祀りを執り行う社として有名であったが、平成に入り区画整理が行われ、現在は宅地となっている。

 

宅地の中心部に祠峯公園があり、園内には祠峯地区の歴史と宅地化計画の事業沿革が記された碑が立てられている。


宅地の中心部に位置する祠峯公園