横須賀(よこすか)御殿

2017年3月22日撮影


◆別名:

臨江亭 ・ 横須賀代官所

 

◆所在:

東海市横須賀町四ノ割

 

◆交通:

 

◆歴史:

寛文6年(1666年)尾張藩主徳川光友の別邸として竣工された建物である。

 

古来、横須賀の地は、万葉集の中に

年魚市方塩干家良思知多乃浦爾朝華搒舟毛奥爾依所見(※注1)

『あゆちがた しおひにけらし ちたのうらに あさこぐふねも おきにえるみゆ』

 

安治可麻能可家能水奈刀尓伊流思保乃許弖多受久毛可伊里弖祢麻久母(※注2)

『あじかまの かけのみなとに いるしおの こてたづくもか いりてねまくも』

 

などの歌が収録されているように、風光明媚な土地であった。

光友もこの地を愛し、何度も御殿を訪れていたと伝わる。

 

横須賀御殿は元禄13年(1700年)に光友が死去した後、正徳5年(1715年)に取り壊されるが、天明5年(1785年)に代官所が置かれ、以降は知多半島西岸の行政の中心地として繁栄したと言われている。

 

 

※注1

『あゆちがた~』の歌碑は横須賀御殿の東、土居之内近辺にある諏訪神社境内に現在も残されている。

 

※注2

『あじかまの~』の歌は可家湊跡の看板(下記写真参照)に口語訳が記されている。

 

◆現在:

代官所は江戸幕府終焉と共に廃され、建物も取り壊されており、現在は住宅地の中の公園に看板などが立てられている。


御殿の北側に建つ可家湊跡の看板。

 

古来からある遠浅の海岸線が埋め立てられていく中で、入江だった箇所が池として残されたと言われている。

 

横須賀御殿を造営したと同時に、この池を利用して、御洲浜と言う庭園が築かれたが、現在は面影すら残されていない。