山中(やまなか)城

2016年12月5日撮影


◆別名:

富田山中城

 

◆所在:

東海市富貴島町山中

 

◆交通:

 

◆歴史:

駒中左衛門の城と言われている。

駒中氏は富田氏の一族と言われ、鎌倉幕府の御家人であった荒尾氏の給人に富田橘三右衛門の名前を見る事ができる。

 

尾張国知多郡誌の平島城の項目には

建久の頃、悪七兵衛景清が知多郡に住んでいた、熱田大宮司の女である松尾姫を娶るが、景清は京へと戻ってしまう。大宮司は、松尾姫を駒中左衛門に嫁がせるが、すでに景清の子供を懐妊しており、産まれた息子は尾張左衛門景秀と名乗って平島城主となった。

と記載されている。

 

この文章では、山中城と平島城の関係が不明だが、立地を見る限りでは、山中城から伊勢湾へ出るには、太田川を下るのが一番の早道であり、その出口にあたる場所に平島城は築かれているため、当初は山中城の出城として平島城があったと考えられる。

 

その後、駒中氏は山中氏と改姓し一帯を支配していくが、室町末期には知多制圧を目指す緒川城の水野氏に攻略され、城は廃城になったと伝わる。

 

◆現在:

宝珠寺の南東にある小山一帯が城跡と伝わるが、現在は宅地化されて遺構は残されていない。