土居之内(どいのうち)

今川義基と記された墓碑

 

2017年3月22日撮影


◆別名:

 

◆所在:

東海市高横須賀町戌亥屋敷

 

◆交通:

 

◆歴史:

地籍図から城館があったと言われているが、詳細は不明。

一帯は戌井屋敷、北屋敷などの地名が現在も使われているが、その一角に今川義元の墓碑が建てられている。

 

地元の伝承には、桶狭間合戦後に今川軍の敗残兵が落ち延びてきて、この地に住み着いた説が有力であるが、その内容は様々である。

いずれにせよ、今川軍の敗残兵がこの地に来た事は確かであり、義元の菩提を弔っている事から、地方の豪族などではなく、ある程度今川氏に近い存在だったとも考えられる。

 

この一帯の東側には木田城の荒尾氏(織田信長の乳兄弟である池田恒興の血縁)が支配しているものの、南側に位置する寺本城の花井氏は今川方に付いており、隠れ住むには都合の良い地であったと思われる。

 

◆現在:

字名には●●屋敷と呼ばれる地が多く、城館があった事を思わせるものの、宅地化が進み、遺構は残されていない。 


義元の墓の西隣に建つ諏訪神社境内には万葉の歌碑が残されている。