緒川(おがわ)城

2014年12月22日撮影


◆別名:

羽城、緒川新城

 

◆所在:

知多郡東浦町緒川字古城

 

◆交通:

国道366号線にある東浦町役場東の交差点を西に入ると東浦町役場があり、役場の北東約300mの住宅地の中に古城公園がある。駐車場は無いので役場の駐車場を利用し、徒歩10分程で到着する。

 

◆歴史:

清和源氏の末である源重遠の子である重房が知多郡英比郷小川村に住み、小川(緒川)重房を名乗って、高藪城を築いてこの地を支配した。承久の乱を経て地頭に収まっていた小川氏だが、1360年土岐氏が来襲し、本拠の高藪城は落城。墳墓の地に濁池砦を築き抵抗したが、当主である小川正房は4人の息子と共に討ち死にを遂げた。

 

末子の信安は信濃国に逃れ潜伏していたが、4代後の忠義の代に小川の地に戻り土岐氏に対抗。忠義の息子である貞守が土岐氏の代官である竹内八郎を駆逐して、小川の地を取り戻す事に成功した。

 

貞守は水野氏を名乗り、高藪城の南に緒川城を築き知多半島を制圧していく事になる。

年代が下るにつれ緒川古城の周囲を拡張していき城郭群を形成していたが、江戸初期に水野分長が新城藩に移封された際に廃城となった。

 

◆現在:

住宅地の中に古城公園があり、公園内には於大の方出生地の碑が、公園の上部には土塁の一部が保存され、城址の碑、看板が立てられている他は全て宅地化されている。

なお、東浦役場が建設された際、最初に建てられた城址碑は役場敷地内に移設されており、現在城跡に立てられている物は2代目である。

 

水野氏菩提寺の乾坤院の総門は緒川新城の門が移築された物と言われているが、実際に乾坤院に行き山門の由来を見るとこの記述はないので、定かでは無い。


城跡には土塁の一部が残されており、城址碑と縄張り図などが書かれた看板が立てられている。


東浦役場に移設された初代の城址碑。


乾坤院


乾坤院にある宇宙稲荷

元は緒川城の守護神だった。

門を入った所にある看板